巨大企業の人とおはなしをした

 生きるために人間である事をやめた人がどれほど多いものか。

 社会において、人間らしいという事はそれほど必要とされていないように思う。むしろ社会の歯車の中に噛み合い、適応する事こそ求められる。
 社会は、多くの人間の意志の集まりで、中でも特に力の強い者の意志が大きく反映される。力の無い者は知らず知らずに歯車として動いている。

 歯車である事は人間らしい生き方とはいえない。社会の中では人間らしさというものは生きにくさにつながる。
 しかし私たちは人間であるから、人間らしさを切り落とす時に強烈な痛みを伴う。それは自身の半身を切り落とすのと同じ事。

 私は臆病なので、そのような自傷行為はできない。生きにくさを抱えたまま、また、人間らしさを持った自分に納得しながら生きていくだろう。

 今日は、半身を切り落とす痛みに呻きながらも、抗い続ける人を見た。その人は、呆れていた。割り切っていた。心を閉ざしているのが分かった。
 強大な意志の集合体である社会には一人の意志で立ち向かう事などできない。心を閉ざして耐えるか。逃避するか。それとも屈伏するか。・・・・そして人間らしさを保ちながら強く生きるか。