天保4年4月のこと

ある夕方、おばちゃんと、おばちゃんのことを好きなおじちゃんと3人で、今は持ち主の居ない土蔵の物品を「まだ使えるんじゃないか」と品定めしていた。まだ小さな私は物品に興味がなく、少し離れた場所にいる縄につながれていない1頭の馬を見ていた。おばちゃんは土蔵の物をひとつやふたつ盗ってもかまいやしないだろうと積極的に陶器を見ていて、おじちゃんはおばちゃんの機嫌さえよければ何でもいいので適当に話を合わせているようだ。わたしはおばちゃんをたしなめたいような黙っておきたいような、退屈な気持ちでそばに居た。目を離すたびに、馬が我々に段々近づいて来ているような気がした。次に見たときにはもう向かいの建物の窓に頭を突っ込んでいる馬の尻を見た。おばちゃんとおじちゃんはお喋りと物品に夢中で馬のことなど気が付きやしない。
その時とつぜん、厳しいことで有名な近所の侍のおじさんが大きな声で「立て立て!」と急きたて、小さな木の扉から我々3人を建物の中へ押し込んだ。ほとんど蹴り込むようにして。そのときには寸でのところまで大きな馬が迫って来ていた。
建物の中を移動し外の様子をうかがうと、侍のおじさんが馬を馴らし、引いて連れていくのが見えた。後から聞けば、馬はまれに小さな人間の子を襲うことがあるらしい。わたしは事の発端が子供の自分であったことを申し訳なく思った。同時に「さすがお侍さんは馬に慣れてるな」と侍のおじさんを頼もしく思った。
事が落着したとたん、おばちゃんは向こう戸からひらりと外へ出て、また興味のありそうな事柄を探しに駆け出た。おじちゃんはおばちゃんの尻を追いかけるのが仕事であるかのように後に続いた。2人とも馬のことなど何も気にしていないようだ。